海外インターンから帰国した大学生日記

大学4年を休学してフィリピンの田舎で留学×インターンをしてみた

自分をよく見せてしまう病

 

そうです。

私は”自分をよく見せてしまう病”だったのです。

 

その1つの例として、「分からない」が人の前で言えないと言う症状があります

”分からない病”が発症する原因としては

①分からないと言うことが恥ずかしい

②話を止めるのが申し訳ない

 

 

海外に行くともちろん知らないことばかりなわけで「知らない」ことを恥ずかしがることも減るのですが、(知らなくて当たり前なので)日本に帰ってくるとまた再発してしまったりしてたんです、、、

 

1年休学してまで海外に行って自分のやってきたことへの責任とかプレッシャーとか感じて「分からないこと」「知らないこと」があることで相手の期待に応えられないのが嫌だったんです。

 

9ヶ月間行っただけでは分からない英語もありますし、自分の所属していた組織に関してまだ情報が十分ではないなんて当たり前のことなのですが、

勝手に相手の期待値に合わせようとかしてしまったりして

 

でも振り返ってみると周りの人って別にそんな期待してないんですよね

(相手からの視線とか意見が気になる人って結局、自分にベクトルが向いているっていうことなんです)

自分をよく見せようとしていたんです

 

それで昨日、イギリス留学から帰国した芸能人ウエンツのイギリス滞在に関する特集を見ていたんですね

「留学で一番変わったと思うことはなんですか」という質問に対して

「自分で自分を愛せるようになったことです」と答えていたんです。

 

これを見たときに自分の留学生活が走馬灯のように蘇ってきて、

留学で自分が得たものってこういうことだったんですよね、。

これってシンプルなことのようでシンプルじゃないんです。

 

自分が留学で得てきたものにランクをつけないで率直に発信していくのっていいなあ,

わかりやすいなあ自分軸でいれてるなと、、、

 

つまり、自分をよく見せようと振る舞うのではなく

自分が感じたこと思ったことを素直に発信していくことで自己の成長理解にもつながりますし、相手にも伝わりやすいんじゃないかなと

 

「分からない」と言うことで信用性がなくなることや威厳が保てない期待外れになると不安に思うことより

「分からない」と言うことで自分が真の発信者になれるのかもしれません、威厳なんか保つより断然、親しみやすさを得られると思います

 

そして実際に「分からない」「やったことない」と言う言葉で私は楽になりましたし、周りの人がたくさん手を差し伸べてくれるようになりました

 

コロナ下で思うこと

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

誰も予想だにしなかったことが世界中で起きている今、生活環境が変わり今まで通りの生活ができなくなってしまっている人がほとんどだと思います。

 

ニュースは1日中悲しいニュースが飛び交い、人にも会えずなんとなく寂しい日々を送っていますよね。

私も実はバイト先が潰れて今のバイト先を見つけるまでの間、とても時間がかかりましたし、精神的に辛かったです。

 

そんなこともありながら、今は自宅での日々を送っているわけですが、

1日お家にいると暇時間なるものができてくるわけです。

時間もあるし何か始めてみようとなって、、、エクササイズをしてみたり読書をしてみたりたまに一人で大熱唱をしてストレスを発散してみたり。

 

でもこれまでを振り返ってみるとこんなことをして過ごす時間は久しぶりでした

暇であることに罪悪感のある私はいつも自分のスケジュールが埋まるような生活をしていたから

 

今の状況をポジティブに捉えるなら、、、

以外とこのような時間を持つのもいいのかなと思いました

自分の新たな発見があるから

例えば私だったら、逆に人と話す機会が増えたり、自分磨きを始めたり、タイムマネジメントを覚えたり、、

 

時間があるからこそ出来たことがあるんですよね

 

実は私あまり人とずっとべったりするような人間ではなく

どちらかというと一人の時間とかが好きだったりするんですけど

今回ZOOMで話すようになって、人と団欒するのってこんなに楽しいんだと改めて気づきました

今はオンラインで場所を関係なく話せたりしますしね

 

日本てあんまり電話文化がないから日常的にいきなり友達に連絡もしづらかったりしていたんですよね今までは

 

でも今、自分の周りの人の状況が気になったり、そんなことも含めながら連絡をするきっかけにもなっているのかなって

 

それでいざ連絡してみると

これまで以上に深い関係に慣れたりして、、、

そんな機会がこのコロナという感染病が現れたことで起きたポジティブな変化だったんですよね私にとって

 

なんかこう振り返ってみると

結構自分の成長とか目の前にあることで頭はいっぱいで周りにいる人への感謝とか存在とか気配りってできなくなっていたのかもしれません

 

危機的状況下で今、人間としての強さとかが問われているような気がします

私はこれを機に社会の今のあり方や動きを勉強して非常事態に強い人間になりたいです

 

フィリピンを食から覗いてみよう

今回は9ヶ月間のフィリピンで触れた何気ない生活から

フィリピンならではの食について書いていきます。

 

フィリピンの食文化

とにかく食べることが大好きなフィリピン人、ミリエンダと言うおやつの時間があります。オフィシャルおやつの時間とでも言うのでしょうか、さっきお昼食べたけどその2.3時間あとにはパスタや揚げ物がおやつとして出てきます。

朝昼夜のご飯の量が少ないなと感じていたのでおやつで全体的にバランスが保たれているのかなと思います。

 

ご飯無しには何も語れないフィリピン。

 

フィリピン料理は家庭的な味がして本当に美味く今でも忘れられない味です。

会議でも仕事中でもお腹が減っては戦にならぬ。と言うことでご飯先に食べよ〜となります。そのせいか挨拶も『おはよう』じゃなくて『ご飯食べた?』と聞いたりするところもフィリピンならではですね。

 

コメが大好き!チキンが好き!パスタが好き!

コメがなかったらそれはご飯ではないと言われました笑

マックにはチキンが売ってます。もうハンバーガー屋の半分の領域を占めているんじゃないかと思うくらいにチキンチキンです。正直、マックとジョリビーにあまり違いはないように思うくらいチキンです。

 

パスタは公式誕生日フードです。誕生日にはパスタとケーキ、もちのお菓子、が大体並んでいます。フィリピンのパスタは甘い、売り場ではイタリアン、フィリピン味の枠組みで区別化されています。

 

そしてフィリピンは煮物、スープ、揚げ物が中心です。

田舎のご飯屋さんではあまり生野菜は見なかったです。

また、都会でも野菜は比較的高いなと感じました。お肉は基本豚が多く、豚中心の料理が豊富です。お祝いの際には豚を丸ごと丸焼きにしてみんなで分け合いながら食べます。

お肉の売り方は衝撃的で生身のまま外で売られているので現地の人もお水でよく洗ってから調理します。

 

基本フライドライスやフライドエッグなど揚げ物が好まれていました。

両親の共働きや女性の社会進出が世界に比べ進んでいるせいか、子供達はほとんど料理を家庭のなかで学び、自分たちで作れるようになっています。

街中ではおそらく10種類以上は同時に作っているようなお母さん達が個々の家で営むご飯屋さんが多くあり、お昼はどこでも家庭的なお母さんの作ったご飯を食べることができます。

 

歴史的に多くの国から植民地化されていたこともあり、海外の食文化がそのまま染みついているようにも思いました。

春巻きやお餅はおそらく中国からで現地ではルンピア(バナナの春巻き)上海ルンピア(本場の春巻きのようにお肉が入っている)などいろんな文化が混ざっているようなところも感じました。

モールに行ってみると中華料理、日本料理、ベトナム料理、、、その種類の多さにびっくりします。

 

何と言っても手でご飯を食べる文化は初めてだったのでびっくりしました。

手で食べるとさらにご飯が美味しくなるよと言われて私もよくやっていました。

あとはスプーンとフォークを両手に持って食事をする方法とかもフィリピンならではだと思います。

 

日本料理屋さんもたくさんあるので箸の持ちかたを知っている人もいます。

日本料理は現地でとてもブランド力があるように思います。ラーメンやお好み焼き、うどん屋さんまで、、

都会では日本食がブームなのかと思うほどに立ち並んでいます。某うどんチェーンの大行列にはさすがに驚きました。。

 

 

 

国際協力を目指す学生が現地で学ぶということ

 

私は就活生

実はとても悩んでいる

自分の経験が言語化できない!

経験してきたものは確かに自分にとって価値のあるものだった

ここで自分に聞いてみよう

 

『なぜその経験が自分にとって価値のあるものだと思うのか』

→自分が考えたこともなかった意見や考え方を知れたから

 

・自分を変えた少女

私はフィリピンで一生忘れられない友達ができた。そのこの言う言葉、行動、全てが自分にとって刺激になるものだった。彼女は私より若い。だけど私に多くの気づきをもたらしたのだ。人を虜にする子だった。相手に感謝を言うこと、悲しいと言うこと、恋しいと言うことそれを恥ずかしがらずまっすぐに伝えられる子。人を想う方法はいくらでもあって、愛情表現をして行くこと、そんな単純なことが幸せをもたらす。たまに彼女は私の前で泣いた。財政難でお母さん達への収入が滞っていること、そして自分が辞めることでその収入をお母さん達に使ってあげて欲しいと。普段は全く泣かない子がお母さんたちのことを思って私の前で涙を流しているのだ。その時NGOで働くとはこう言うことなのだ。自分の生活を犠牲にしてでも相手を思う気持ちなのだと。

お金でもたらされる幸せも確かにある。だけど言葉や気持ちは何年経ってもその日を思い出させ、幸せとして心や頭に残る。

 

・お金を稼ぐために一生懸命働くお母さん達

何個も仕事を掛け持って、朝早くから夜遅くまで働いている。

忙しくても全然イライラせずに心はいつも暖かく、楽しそうにしているお母さん達はとても印象的だ。お母さん達はいつも「家族のためだ」と言う。フィリピンではOFWといって外国での出稼ぎが収入源であるが家族のために人生の3年間、海外にお出稼ぎとして働きに出ているのだ。家族への愛や助け合いの精神もフィリピンでは学んだ。

忙しさとか人との競争、見栄で人との繋がりを忘れがちになっていたかもしれない、、

幸せの定義を考えさせられる経験だった。

 

・いわゆる社会的弱者と世間から言われる人とNGO

思えば、国際協力を学びに私は大学を1年休学した。

私は自分が国際協力にどこまで本気なのか確かめたいと言う思いと、私たち先進国が言う社会的弱者の人はどんな生活で何を社会に求めているのかを長期滞在で知りに行く目的

があった。あとは国際舞台で活躍したいと言うこともありインターンシップを通して使える英語と海外で働くと言うことを学びたいと言う気持ちもあった。

 

そして学んだことは、

社会的弱者と言われる人は多分そうは思っていない。

私たちが勝手に「助けたい」と言っているような気がした。

確かに生活は苦しい、だけどその支援のあり方があっているかどうかもう一度検討するきっかけになったのはこの時の経験からだ。

 

私はインターンシップ生として受け入れてもらったが、英語もままならないし何か専門分野の知識もなかったのでほぼボランティアのような活動をしていた。

誰にでもできるような人員が足りないところに「ちょっと、ここ手伝って欲しい」と言うところに入るような形だ。日本を出てフィリピンに来たからには何か残したいと言う気持ちは少なからず休学を決意した学生にはあるはず。私もそのように意気込んで休学をしたうちの1人だ。だから時間の合間を見ては「現地国際NGOを発信するためのブログを書かせて欲しい」とか「日本文化交流をしたい」「農家さんの生の声を発信させてくれ」「フィリピンの家庭ご飯会で交流会をやりたい」とか忙しいNGOのスタッフの状況を見ながら協力をしてもらってやっと自分がここに来た意味というか「価値」を生み出せたのかなと思っていた。

国際協力を目的にフィリピンにやって来た私は1人で何か成し遂げられたなんてそんなことは微塵もできなかったし私が彼らのためにと思ってやってきたことは結局彼らの協力や参加無しには何も達成できなかっただろう。

 

現地では私の訪れるずっと前から現地の人によって組織が営まれている。そこにいきなり日本人がやって来て「インターンとして受け入れて欲しい」とそのコミュニティに暖かく入れてもらって、タガログ語を話せない私の前でタガログ語を使わないようにしてくれたり、ご飯に毎回呼んでくれたり、私に色んな経験をさせてあげようと自分の休日を使ってまで私に時間を費やしてくれたのだ。

 

私は国際協力を学びにフィリピンへ行ったがNGOスタッフが見せてくれた”それ”はとても深い愛情だった。彼らのモットーはWalang Iwanang(タガログ語で誰も置いていかない)で、彼らは外国人である私を仲間として受け入れる中でもそれを体現していた。

 

国際協力ってそいうことなんだ。

お金や権威を持つ人が助けるという構造ではなく地球上にいる全ての人が仲間で誰一人として取り残さない活動のことを言う。

もちろん誰かを助けたいと言う正義感を前提のベースに真の国際協力の精神を持ち合わせた時、最適な支援ができるのではないだろうか。

 

私が9ヶ月間、彼らと共に過ごした期間で学んだことは真の国際協力とは何かと言う問いに対する答えだ。彼らとともに過ごす中で知ることが出来るそれぞれの思いや彼らのとる行動をよく観察していた。

 

もしかしたら休学をしなくてもそれに気づける人はいるかもしれないけど私はあの環境下で同じ目標に向かって進むチームの一員としてそれを経験させてもらえたことが今後の自分の価値観や判断を決めて行くものになって行くと思っているし、自分にとって彼らへの恩返しとして今後のモチベーションになって行くだろう。何よりそのような長期の時間を使って築いた現地の人との関係性は私にとって一生ものの宝物だ。言語が違くても文化が違くてもここまで相手を思い合えること、深い関係が築けるということは長期の滞在への挑戦、そして受け入れてくれた方々無しには証明できなかった。私たちは分かり合える必ず。

さあそれは誰のためなのか。

実際、NGOインターンで何を学んだかって、、、

真の自分を知れたこと。

 

自分がどこまで人にコミットしたいのかどこまで人に尽くせるのか。

現地に住んでいたら自分の考え方がいかに自分よりになってしまっているのかわかる。

 

価値観が違うってすごい違う根本が違う。

自分はそれが安いと思っても高いって思う人がいる。自分が自分のことを貧困だと思っていたらもっと貧困の人がいる。

 

それこそ自分の言動に気をつけなければならない。

実際私はこの価値観の違いという面で自分の言動で嫌な思いをさせてしまったことがある気がする。

自分にとっては普通のことが普通じゃないそれがすごく明確にわかるのがその瞬間。

 

 

 

彼らのために何かをしたいと思ってきたけど自分が一番ほしいものがそこにある時、

自分がどうしても譲れないものがある時、さあどうだろうか。

自分は人にそれを譲れるだろうか。

自分の目的からずれてしまうことはないか。

 

 

 

Walang iwananとは誰も残さない、誰も置いていかないという意味だが

さあ私は1度も忘れなかったか。

 

いや、そこに自分の欲しいものがある時自分はそれにしか目がいかなかった。

のではないだろうか。

 

 

だけど国際協力をする上で自分の生活水準を下げることや自分の生活をわざわざ苦しいものにする必要はあるのだろうか。

 

それはただの自己満足に過ぎないのではないか。

 

貧困解決にコミットするとはどういうことなのか。なぜ自分はお金をあげるという手段を取らないのか。

 

何かをしたいという自分のための行動になってないだろうか。

 

なぜお金をあげない?それは援助に過ぎない行動になってしまうから?

それとも自分のお金を見ず知らずの人にあげたくないから?

 

その場かぎりの助けや援助は良くない?

大変な時、辛いときにその場に一緒にいて何かお手伝いをすることがいかに人間の心を暖かくするのか。

 

 

知識や技術のない私こそそういうことをやっていくべきなのではないか。

 

 

社会問題に取り組む自分のあり方に疑問を持ち始める滞在7ヶ月目。

挨拶で戸惑いを隠せないあるある

海外あるあるで挨拶の仕方って必ずでてくると思うのですが

海外に人縛りにはできないんじゃないかなって最近思うんです、、

 

特に私がインターンをしているフィリピンのNGOには様々な国籍の人がいます。

 

、、、で気づいたのです。

挨拶1つでも違いがあるんだなって

 

 

っていうのも昨日フィリピン人ルームメイトと挨拶の違いについて話題になり、

すごい盛り上がって盛り上がって、、、笑

 

「私はハイタッチしてバイバイしようと思ったんだけど、

してもらえなかったんだよね〜ははは」

 

「いきなりキスされてびっくりだよ〜」

 

なんてことを話していたわけですが、、これって意外とあるあるなんですよね。

 

 

 

挨拶の仕方ってその国の人との距離感がとてもわかりやすいもので、

握手、ハグ、キス、、、とまぁ様々あるわけですけど

 

どうやって使い分けるのか

フィリピンに来て6ヶ月が経ちましたが未だにわかりません笑

 

多分その場のとっさに出る動きに任せちゃってます。

 

1つだけ注意するべきだなと思うのは、

外国人みんながみんなハグやキスではないこと、これは日本人でも言えることですがそれぞれなのでその国に行ったからといって無理に合わせる必要はないと。

 

よくシャイな国民性と言われる日本人ですが、私もシャイ中のシャイでハグなんてもっての他だったわけで、、

 

でもその国や人の中でそのような文化に触れてみることで新しいことに気づくこともあります。

 

ハグをするだけでその人との距離がとても縮まるのです。

これはとても不思議なんですけどその人に愛着が湧いて来て、心が通じてるかのような、、

 

だから、その国に合わせてみるのもアリかなというのは個人的な意見です。

以外とあるある?海外インターン中に自分を見失うケース

海外インターン中は自分を見失いかけることがあります。

 

はい、、私もそのうちの一人です。

 

自分が予想だにしていなかったことが起きたり、

計画の不十分さに現地で行動しているうちに直面する問題が存在するからです。

 

 

私の場合、

 

自分が日本で計画していたことを実際にやってみるとうまくいかなかったり、

そもそものスケールが大きすぎて実行できなかったりしました。

 

 

そこで、計画していたほとんどのことが実行できないとなると

イメージとのギャップに落胆させられます

 

problem solving, complicated solution from point A to point B, business idea or creativity concept, trouble making

これは真面目な人ほど、

陥りやすい罠なのではないかなと思います。

 

 

「休学してまでここに来たのに自分は何もできてない」とか

「自分の存在意義はなんなんだろう」

「自分は全く貢献できていない」とかそんなことを考える毎日でした。

 

 

 

でも、私がこの記事のタイトルに書いたようにこれは”あるある”なんです。

 

というのも、

現地に行ったことのない人が立てた計画なんてただの仮説を元にしたものであって現地に行って初めて知ることがほとんどだからです。

 

もちろん計画をしっかり立てることは大切ですが、

現地でいかにそのギャップに対応できるかが大切なんだと思います。

 

インターン期間中、自分の時間は自分が使いたいように使えます。

自分がしたいことを1日中できる、そんな環境です。

 

だからこそ、1日どう過ごすか何をいつまでに終わらせれば目標に達成できるのかを考えることがとても重要です。

 

私の場合、次の2つの方法を実践しました

①小さい目標を達成してモチベーションあげまくる法

②自分の行動・考えを振り替えまくる法

 

①の方法では

少しずつ小さいことから実践していくことにしました。

「今日は〜を必ず終わらせる。」

そう自分に約束し、達成していくことでちょっとしたことでも自分に自信が湧いてきてモチベーションも保つことができました。

 

②の方法では

「自分がなぜここにきたのか」

「なぜインターンをしたいと思ったのか」

振り返ることで中だるみやインターン中に自分の考えがわからなくなったときに軸に戻れるようにしていました。

 

こんな感じで自分を見失うことで自分の考えに気づけるきっかけになるのが海外インターンの良さでもあります。

いかに自分を追い込めるか。

自分に優しくできる時間を作れるか。

自分をコントロールできるか。

 

全て自分次第です。