さあそれは誰のためなのか。
真の自分を知れたこと。
自分がどこまで人にコミットしたいのかどこまで人に尽くせるのか。
現地に住んでいたら自分の考え方がいかに自分よりになってしまっているのかわかる。
価値観が違うってすごい違う根本が違う。
自分はそれが安いと思っても高いって思う人がいる。自分が自分のことを貧困だと思っていたらもっと貧困の人がいる。
それこそ自分の言動に気をつけなければならない。
実際私はこの価値観の違いという面で自分の言動で嫌な思いをさせてしまったことがある気がする。
自分にとっては普通のことが普通じゃないそれがすごく明確にわかるのがその瞬間。
彼らのために何かをしたいと思ってきたけど自分が一番ほしいものがそこにある時、
自分がどうしても譲れないものがある時、さあどうだろうか。
自分は人にそれを譲れるだろうか。
自分の目的からずれてしまうことはないか。
Walang iwananとは誰も残さない、誰も置いていかないという意味だが
さあ私は1度も忘れなかったか。
いや、そこに自分の欲しいものがある時自分はそれにしか目がいかなかった。
のではないだろうか。
だけど国際協力をする上で自分の生活水準を下げることや自分の生活をわざわざ苦しいものにする必要はあるのだろうか。
それはただの自己満足に過ぎないのではないか。
貧困解決にコミットするとはどういうことなのか。なぜ自分はお金をあげるという手段を取らないのか。
何かをしたいという自分のための行動になってないだろうか。
なぜお金をあげない?それは援助に過ぎない行動になってしまうから?
それとも自分のお金を見ず知らずの人にあげたくないから?
その場かぎりの助けや援助は良くない?
大変な時、辛いときにその場に一緒にいて何かお手伝いをすることがいかに人間の心を暖かくするのか。
知識や技術のない私こそそういうことをやっていくべきなのではないか。
社会問題に取り組む自分のあり方に疑問を持ち始める滞在7ヶ月目。